LCRチームの歴史-1996年より
2010年は、ルーチョ・チェッキネロがLCRチームを設立して、15年目のシーズンです。この間、LCRは3つのカテゴリーで戦い、数々のトップライダーやエンジニアと共に、幾多の輝かしい成績を残してきました。ルーチョが125ccクラスの現役ライダーでありながら、綿密な将来の計画を立て、自らのチームを興すという大冒険に乗り出したのは1996年でした。
1998年は、親友でもある上田昇をチームメートに迎え、125ccにおいてチームは最初の成功を手に入れます。2001年には、アプリリアを駆り、ルーチョ自身もランキング4位を獲得しました。
2002年には、250ccにも参戦を開始し、2クラスで4人のライダーがエントリーする大所帯となりました。125ccはルーチョ自身が優勝3回、2位2回という活躍でランキング4位。アレックス・デ・アンジェリスはキャリア初の表彰台を獲得しました。250ccでは、ケーシー・ストーナーというオーストラリアの当時は無名の新人がデビッド・チェカとともに世界選手権にLCRからデビューしました。
ルーチョの選手生活最後のシーズンであった2003年は、この年からチームに加わったフランス人のランディー・ドゥ・プニエが250ccクラスで大活躍しました。3回の優勝を含む、9回の表彰台および、ポールポジションも何度か獲り、ランキング4位でした。ケーシー・ストーナーは125ccに転向しランキング9位。この年は3人のLCRライダー合わせて、表彰台16回、6勝、6ポールポジションという驚くべき戦果を収めました。
2004年は、ランディー・ドゥ・プニエが、さらに成長して、250ccでペドロサとポルトに続く銅メダルとも呼べるランキング3位に入りました。125ccも、ロベルト・ロカテリ(既にこの登竜門クラスで世界チャンピオンを獲得していた)が、ドビジオーゾとバルベラに続く、ランキング3位に入りました。この年は、もう一人の才能ある若手ライダー、マッティア・パシーニがLCRチームからデビューし、ルーキー・オブ・ジ・イヤーを獲得しています。
2005年、LCRチームは、250ccクラスでケーシー・ストーナーシーと共にオーストラリア旋風を巻き起こしました。チーム最高のリザルトとなるランキング2位を獲得し、何年もの間、ケーシーを見守って来たLCRチーム代表のルーチョは、彼のポテンシャルを確信します。いよいよ、チーム念願の最高峰クラスへ挑むことを決意したのです。
2006年、ホンダRC211Vを手にしたケーシーは最高峰のMotoGPクラスで早速、記念となるチーム初ポールポジション、初表彰台を実現しました。2007年は、ストーナーに代わりベテランのカルロス・チェカを迎え、ホンダRC212Vを駆りランキング14位に入りました。この年は、ホンダUKの提案で250ccクラスのルーキープロジェクトを支援しユージン・ラバティーを走らせました。2008年は、旧知のランディー・ドゥ・プニエと再びコラボ。ホンダRC212Vでランキング15位を獲得しました。
1996年以来、LCRチームは、通算256レースを戦い、250cc年間ランキング2位や21回の優勝を含む、通算72回の表彰台をファンのためにプレゼントしてきました。
LCRチーム戦歴
| 1996 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング15位 |
| 1997 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング14位 |
| 1998 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング5位 |
| | 上田昇 | 世界選手権125ccクラス ランキング13位 |
| 1999 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング9位 |
| | 上田昇 | 世界選手権125ccクラス ランキング5位 |
| 2000 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング11位 |
| | 上田昇 | 世界選手権125ccクラス ランキング5位 |
| 2001 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング4位 |
| | ラウル・ハラ | 世界選手権125ccクラス ランキング9位 |
| 2002 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング4位 |
| | アレックス・デ・アンジェリス | 世界選手権125ccクラス ランキング9位 |
| | ケーシー・ストーナー | 世界選手権250ccクラス ランキング12位 |
| | デビッド・チェカ | 世界選手権250ccクラス ランキング13位 |
| 2003 年 | ルーチョ・チェッキネロ | 世界選手権125ccクラス ランキング9位 |
| | ケーシー・ストーナー | 世界選手権125ccクラス ランキング8位 |
| | ランディー・ドゥ・プニエ | 世界選手権250ccクラス ランキング4位 |
| 2004 年 | ロベルト・ロカテリ | 世界選手権125ccクラス ランキング3位 |
| | マッティア・パシーニ | 世界選手権125ccクラス ランキング15位 |
| | ランディー・ドゥ・プニエ | 世界選手権250ccクラス ランキング3位 |
| 2005 年 | ロベルト・ロカテリ | 世界選手権250ccクラス ランキング13位 |
| | ケーシー・ストーナー | 世界選手権250ccクラス ランキング2位 |
| 2006 年 | ケーシー・ストーナー | 世界選手権MotoGPクラス ランキング8位 |
| 2007 年 | カルロス・チェカ | 世界選手権MotoGPクラス ランキング14位 |
| | ユージン・ラバティー | 世界選手権250ccクラス ランキング25位 |
| 2008 年 | ランディー・ドゥ・プニエ | 世界選手権MotoGPクラス ランキング15位 |
以下、ルーチョ・チェッキネロがチームLCRに所属したライダーに対する思い出です。かのエンツォ・フェラーリが、かつて言っていたことは正しいです。「ライダー。なんて変わったやつらだ。」
上田昇
最高です!私にたくさんのことを教えてくれた素晴らしいチームメートでした。当時だけでなく今でも、日本の兄貴として一緒にやっています。とても速いライダーで、全く手に負えませんでした。
ミサノでクラッシュして200m転がった後、頭をガードレールに打ちつけたことがあります。その痕はサーキットに行けば今でも見られます!
アレックス・デ・アンジェリス
最初に会った頃は、まだヨーロッパ選手権を走っていました。若いにもかかわらず、そのエネルギーと目標に対する強い意思に驚かされました。そんなアレックスと一緒に働いて、彼のGP初表彰台を祝えたことは嬉しかったです。その表彰台では、首に巻いた大きなサンマリノ国旗が風になびいてマントのようでした。アレックスのことがスーパーマンに見えたことを覚えています。
ケーシー・ストーナー
初めて会ったときのケーシーは15歳でしたが、自信溢れる姿は印象に残っています。2002年1月23日の公式テストで初めて250ccに乗り、アプリリアのキット車でいきなり1分45秒8を出してワークスマシンに割って入ったことも鮮烈でした。実を言うと、私が2003年限りで引退の決意を固めたのはケーシーの存在があったからです。シーズン中盤から、私の前を走り始めた彼を見て、自分にもそろそろ若いライダーに道を譲る時期が来たことを悟ったのです。
一番の思い出は、2006年MotoGP参戦2戦目のカタールGPの遅刻事件です。ウィーンから乗ったドバイ行きの飛行機が遅れたせいで、ケーシーはドーハへ乗り継ぐことができませんでした。これ以上乗り遅れてはならないと、そのままケーシーはドバイ空港のチェックインカウンターの床で眠ったそうです。その後、ドーハ空港までなんとかたどり着いた彼を私は迎えに行きました。サーキットに到着すると金曜朝のフリー走行開始まで30分を切っています。ケーシーはすぐにツナギに着替えて、エスプレッソを飲み干すと、そのままコースインし、誰よりも速いタイムを叩き出すという離れ業を演じたのです。
ロベルト・ロカテリ
勝てるライダーです。プロフェッショナルで、優れたマシン開発能力も持っています。
チームディナーではコメディアン並みの機知に富んだ冗談を言っていました。私は今でも2004年のチーム舞台裏を撮ったDVDを繰り返し見ては、ロベルトが披露するモノマネを見て死ぬほど笑っています。
マッティア・パシーニ
本当に素晴らしい性格の持ち主です。彼をLCRから世界選手権にデビューさせることができて嬉しいです。もっと長い間、チームで活躍してもらいたかったのですが、スポンサーがロカとケーシーの250ccプロジェクトに集中することにしたので叶いませんでした。
2004年にムジェロで初ポールを獲得したときの彼は、世界チャンピオンを獲得したのかと思うほど興奮していました。まだ幼かった頃(5歳ぐらい)に、小さな自転車でアスファルトの上を膝を擦りながら走っていたことも忘れられません。
カルロス・チェカ
カルロスのシンボルは闘牛ですが、実際は疲れを知らない競走馬のようです。集中しているときは、世界のトップライダーと渡り合うことができます。人を思いやるときと同じように、マシンの微妙な変化も繊細に感じ取ることができます。テストライダーとして優れた資質があります。本当はもっと高いレベルで一緒にやりたかったのですが、ご存知のように2007年の我々はワークス勢と戦闘力の差がありすぎました。
レーシングライダーとしてのキャリアを私と同じ頃(80年代後半から90年代初めにかけて)に始めたことを考えると、未だに現役で世界のトップライダーとSBKで渡り合っているカルロスの強い意思に尊敬の念を抱くばかりです。
ユージン・ラバティー
ホンダUKが後押しするルーキープロジェクトにLCRが協力する形でユージンを250ccクラスで走らせました。初めての世界選手権、ワークスマシンが18台もひしめいていたことを考えると、プライベートマシンで何度かポイントを獲得したことはよくやったと思います。今シーズン、スーパースポーツ世界選手権で勝利を挙げたユージンを見ると、LCRも成長に貢献できたのかと誇りに思います。ただし、ライダーとして素晴らしいユージンですが、こと車の運転に関しては私の叔母よりひどかったです!